原点は、1996年現代表が個人で日本語のボランティアを始めた.
その後浜松国際交流協会「日本語教え方講座」の仲間で成人対象の日本語教室を開始
2002年2月NPO認可取得。同年、外国人児童の日本語教育もスタート
(1)外国人市民への日本語教育ボランティア
(2)日本人へのボランティア育成教室
(3)日本文化の理解を促進する文化交流事業
この3本柱を中心に、学習者と「共に学ぶ」姿勢を大切にしている日本語教育支援を行うNPO法人です。
概要
活動分野: 国際協力、社会教育、平和人権擁護
活動対象: 外国人及びその児童。活動に興味のある日本人
代表者名: 河合 世津美(かわい せつみ)
活動地域: 県内
発足 : 1998年(2002年法人化)
会員構成: 20代から70代,約40名
こんな課題を解決したいのです (こども)
昨今、日系人は日本生まれ日本育ちが多くなり、ことばの問題は解消されるかと思いきや、さにあらず。
生活上での会話は話せている子もいます。しかし教室の勉強には、ついて行けない子ども達が多くいる。もっと問題なのは多国籍になったこと。
彼らは自ら望んで来日するわけではなく、一人では生きていけない状況の中、親たちの諸事情に伴いついて来ざるを得ない状況が多い。
国籍を問わず全ての子どもに教育を受ける権利が認められている「児童(子ども)の権利条約」にわが国も批准している。
しかし国際基準となっている義務的な初等教育は受けられるものの、内容的に、日本人の子と同じ進度同じ内容というのは無理がある子が多い。
現状を踏まえ、次の世を日本人の同年代と一緒に担う彼らが「正しく生きてゆくための教育とは何か」を模索し、声を出し続け、微力ながら行動に移してゆく必要があると考えている。
こんな課題を解決したいのです (おとな)
【リーマンショック で知った差別】
10年以上同じ工場で働き、仕事の技術では日本人と並ぶ者でさえ、真っ先に解雇された。
どうして日本に留まったのか
日本の帰国支援も退け、日本で生きることを選んだ日系人。
出稼ぎが長期の者は既に生活基盤をこの国に置いている。母国にはもう帰る場所がない者達もいる。
日本が好きだから残るんだと言った者もいる。日本語しかわからない子どもを連れてどうしろと!
日本語支援の意味
企業も生き残りをかけた時代、諸事情を目の当たりたりにして日本語教育の大切さを改めて考えなおした。
日本語学習の意味
彼らもやっと本気で日本語習得を考えた。 、、か の よ う だ っ た。 (更にここから10年後、残念ながら堂々巡りと思える事も少なからずある)
時を逃がすな
しかしなにはともあれ、求める「時」 学ぶ場所と支えることのできる体制を整えてジャボラは地道に日本語支援を行ってきた。
持続そして希望
日本の少子化による労働不足等から、望まれて来日したはずの彼らだが、先々の諸般の事情で「用は済んだのでお帰りください」はだめでしょう。
差異はあっても差別はしないのが同じ人間として大切。かといって一方的な変革もあり得ない。
日本で生きることを選んだ者も相応の努力があって当たり前。努力しようとする外国人達へ日本語習得のお手伝いをする。この国に来て良かったと、思ってもらえるようにである。
組織
役職名 | 氏名 |
理事 | 河合 世津美 |
理事 | 岩永 府子 |
理事 | 中村 智美 |
監査 | 金田 久子 |
監査 | 野末 奈緒美 |
受賞
「浜松市教育文化奨励賞」
2009年浜松市より浜松市教育文化の向上に業績を挙げた実績
「教育文化奨励賞」
2008年浜松ユネスコ協会より浜松市教育文化の向上に業績を挙げた実績